「過去、現在、未来」―貫く棒の如し―
~歳月人を待たず。師走に歴史を学ぶ
―風彦
ことしもあとひと月で新しい年を迎える。月日の過ぎるのは、はやい。もう十二月。文字通り「歳月人を待たず」である。
陶淵明は、その詩で「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなりがたし、時に及びて勉強すべし、歳月は人を待たず」(概要)といった。若い時は、二度とこないので時を惜しんで勉学に励むよう説いた有名な言葉である。
が、現実は、きのうにつづくきょう―の繰り返しのなかで、歳月は過ぎていく。
俳人・高浜虚子は「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」―と、十二月から来年一月を迎えるにあたって詠んだ。
この句には、陶淵明とはちがった蘊蓄があり、多くの俳人が「去年今年」の言葉にあやかり、新年の句を詠み、いまでは季語になっている。
が、虚子の詠んだ時代背景とは地球環境をはじめ世界事情、社会状況も違っており「一本の貫く棒の如き」―とは、言い難いともいえる。
刻々と歳月が過ぎていくなかで、私は先人たちの説いた言葉を思い出す。
「温故知新」―。古きをたずねて新しきを知る―である。要は歴史から学ぶことの大切さである。
現代っ子には、この「温故知新」すら知らないだろう。故事成語辞典には、論語の為政第二に「子曰く、故きを温ねて新しきを知る、以て師となるべし」とある。
さらに、こう付記してあった。「先へ先へと新しいことだけを追っていては、本当の知識にはならない。ちょうどしっかりした根に、幹や枝がしげるように。科学や学問の進歩も同様である―。
現代の科学の進歩は、”驚異”であると同時に”脅威”にもなりかねない。そこで人類の智恵(倫理)が問われる。
もう一つ、私の思想形成になった言葉は―。
「過去に目を閉ざす者は、現在でも盲目で未来の悲劇に手をかすことになる」である。
たしかこの言葉は、東西ドイツ時代、当時、西ドイツの大統領、ワイッゼッカー氏が、1985年のドイツの敗戦記念日での演説した時の言葉だったと思うが…。
英国の詩人・バイロンは、こう言っている。
「最良の預言者は、過去なり」
混迷する世界の動向のなかで、人類が犯した歴史から学ぶことが「あすの地球」、いや、「きょうの地球」を救い、守ることにつながる。いまや、気象、政治、経済などすべての変動は、地球規模で論議されるまでになった。世界は変わる。人類の智恵によって―。
(風彦)