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今月の言葉(9)

老いと人間の賞味期限

敬老月間に考える

 食品には賞味期限がある。花には花の〝盛り〟がある。人には人の〝旬〟があり、賞味期限がある。
 過日、元広島東洋カープの監督、阿南準郎さんとの会話。あるテレビ局の、ある野球解説者の起用をめぐってこの人の見解であった。私が過去、見聞した野球人でもそのことは言える話。華やかな現役時代から引退した選手のなかには、マスメディア。とりわけテレビメディアに起用された人のなかには、そんな賞味期限で辞めた、辞めさせられた者があった。
 「だから、引退した選手が通用するのは、四、五年…。それが賞味期限だよ」(阿南準郎さん)であった。
 この人は、この人らしい自分の存在価値、賞味期限を知っていたのか、テレビメディアからの誘いを断ったそうだ。
 賞味期限は、一過性の場合と歴史的な〝不変〟の賞味期限もある。プロ野球を例に引くと、三原修、広岡達郎、野村克也、最近では江川卓、張本勲(各敬称略)らがいる。
 この人たちは、個性=感性=豊かで、独自の哲学を持ち、野球論を披歴している。
 要するに、この道についての〝権威者〟である。論陣を聴いても、著書を読んでも、傾聴に値する。今なお賞味期限があるのである。
 戦国時代の武将、江戸時代の儒者、医学、地学、経済界でも財を成した篤実家、明治維新前後に活躍した人物…。いまから何百年前からも〝賞味〟ができる。また、あがめられている。年を老いたから、その人にはもう賞味期限が切れた―、賞味する価値がない―と、思うなかれである。
 老いた人ゆえに、それなりの知恵がある。
 生前、司馬遼太郎が言った。
 江戸幕府では、年寄りの存在を評価したのが、長期幕府体制の基になったという。家老もしかり、老中もしかりであると、そうした年寄りを要職にすえたことをあげていた。なかには〝老害〟的な人物もいた。が、社会全体に〝敬老〟精神が脈々と続いていた。
 古代中国にもこんな諺がある。「老馬は道に迷わず」―、この解説は割愛する。さきの東日本大震災の被災地、三陸地方は昔から〝津波の常襲地〟といわれ、土地の古老たちは、津波の怖さを知りつくしていた。子孫に警告的な石碑をつくり伝えていた。が、時代とともに現実的な生活を優先、津波への恐怖心も希薄になっていたともいう。
 私は毎年、九月―敬老月間―を迎えるたびに説く。お年寄り―高齢者―は、若者たちから尊敬される〝朗人〟になるように、心がけ凛とした〝心勢〟で生きるように努力を。次代を背負う若者たちとのコミュニケーションを通して絆をもち、ともに豊かな社会を築くようにと。
 温故知新、古きをたずねて新しきを知る―。世界に冠たる「長寿国ニッポン」に生きる誇りを持とうではないか。

(風彦)

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2011年09月01日 16:07に投稿されたエントリーのページです。

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