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雑感(9)

代表取締役 田河内秀子


 8月5日に母の最期を看取った。昨年のお盆に母を特別養護老人ホームから引き取り、その後、嚥下性肺炎や腸閉塞の急変を4度の入退院で乗り越え、小規模多機能居宅サービスのスタッフの皆様に在宅介護を支えていただき、最後は家で看取る事ができ、自分としても悔いのない1年を過ごすことができた。母もきっと喜んでくれていたのではないかと思う。
 不足を言えば、もっと仕事をセーブして、母と過ごす時間を少しでも長くとれると良かったのだが、やはりこの1年で会社の業績も停滞してしまったので、私の仕事にかけている情熱も半分に下がっていたのだと今になって思う。これから、この1年間の仕事のブランクを挽回しなくてはいけない。
 しかし、母の介護にどっぷり浸かってみて分かることは、いかに頑張っても「一旦、人間が老いの坂道を下りだすと、誰にも止められない」という事だ。恐らく週1回見舞いに行ったくらいだと、自分のことはさておき施設でちゃんと看てくれているのかと不足や不満をもったかも知れない。嚥下性肺炎が治り病院を退院するとき、医師から「胃ろうを作りますか?」と聞かれたくらいなので、施設だったら胃ろうをしていたかも知れない。でも胃ろうもしないで最後まで自分の口で食べることが出来たので、食べることが好きな母にとってはそれも良かったのだと思う。
 又、子どもや孫たちと一緒にクリスマスやお花見も出来た。これはこども達にとっても貴重な体験になったのではないか。2歳の孫は、母の寝ていた部屋に母もベッドもなくなったのをみて「曾ばぁは?」と尋ねる。「曾ばぁはお骨になって天国に行ったよ」と言うと、納得できたのかできていないかはさだかでないが、もうそれ以上は聞かない。
 日常生活の中に老いや死が見えなくなって久しい。人間だれでも老いて、出来ていたことが出来なくなり、最後は大なり小なり人の手をかりないと生きていけなくなる。これからは超高齢化・多死社会になり、在宅介護が当たり前の世の中になるだろう。それを当たり前として、下の世話や食事の介助や体の清拭が誰でも軽々と出来るような、そんな能力がこれからは必要とされてくる。1860年に出版されたナイチンゲールの「看護覚え書」は、そんなすべての家族の為に書かれている。一度手に取って読んで頂きたい本だ。

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2013年09月03日 17:09に投稿されたエントリーのページです。

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