| 雑感(2) | 2010年02月 |
代表取締役 田河内秀子
年末から膝を痛め、歩行困難! しかも大晦日の夜に携帯を失くし、踏んだりけったりで新年を迎えた。携帯が悪用されないかと心配で、生きた心地がしなかったが、幸いにして2週間後、警察から連絡があり手元に戻ってきた。タクシーに置き忘れていた。心当たりのタクシー会社には電話をしたのだが、違う会社のタクシーだったのだ。もしかしたら落としたのではと、近くのスーパーや駅に届いていないか尋ね、警察に届け、携帯会社にロックと回線停止のお願いをし、それでも心配なのと不便なのと・・・
携帯のない生活は、友人や家族に連絡をとろうと思ったら、たしかあれに書いてあったはず! と住所録を大探し。なんでもかんでも携帯に入っているので不便このうえない。そしてとうとう出てくるのが待てず、新しい携帯を買った。店員にすすめられるまま、最新版のカッコいい携帯にしたのはいいが、さっぱり操作がわからない。娘に「なんで簡単ケータイにしないのと!」と怒られる始末。着信音も変えたいし、待ち受け画面も変えたいのに変え方がわからない。娘が暇になったらやってあげると言ってくれているので、大人しく待つことにした。
今年は還暦明けの年。厄年ということで、身体も変調をきたしやすい。今日は膝の検査に広島市立リハビリセンターに行った。廊下を行き来する半身麻痺の患者さん達はどうみても同年代。ハッキリ言ってヤバイ。飲み忘れている高血圧の薬が頭に浮かんだ。
しかし新年早々、こういう事に遭遇するということは、ひとつの警告ではないかと思う。いつまでもいいことは続かないし、悪いことも続かない。
ちょっとしたトラブルではブレーキを踏み、周りを確かめ、信号が青になったら、またアクセルを踏んで前にすすんで行こう!
| 身近な野鳥 「10数年ぶりのイカルチドリ」 | 2010年02月 |
今年は正月が過ぎても寒い日が続いている。このような気候に変化のある年は例年とは違った野鳥が観られるものである。 6日夕刻、その期待通り、10数年振りに近くの池でイカルチドリに出合った。その3日前、大沢田池で見つけたトモエガモを探しているときのことである。
訪れた近くの池はすぐ傍の道路を工事中で、池も堤防を修理したばかりで、鬱蒼と茂っていた樹木はすっかり切り払われている。期待は薄いが念のため覗いてみた。予想外にも少数ではあるがカモ達がいた。トモエガモはいなかったが、カモの種類と数の計測に入った。その時、足元の岸辺の泥の上にイカルチドリが3羽いるのを発見した。
イカルチドリはコチドリに良く似ている。顔から頭にかけての模様や、背中の灰褐色、下面が白く、首輪のような黒い斑紋、淡黄色の足などはそっくりである。しかし、イカルチドリの体の方がやや大きく、黒い嘴もやや長い。目の周りのアイリングもやや色が薄く細い。
私はもう永く近くでイカルチドリに会っていなかった。以前はカモの観察時期に、池の岸辺や、中州のような処でよく見かけていたのに、どうした訳か、この10数年間も見かけなかった。ところが、久しぶりに訪れた三永水源地でも1羽であるが会うことが出来た。しかし残念なことに、その後いくら探しても、イカルチドリは姿を見せてくれない。
(2010年1月28日記)
| インド夜想曲 | 2010年02月 |
アントニオ・タブッキ 著 須賀敦子 訳
株式会社白水社 発行
『あの小説を読みかえしたい』と頭の隅で思いつつ10年以上経ってしまった。ネットで探そう。PCの前に座ったら検索してみようと思いつつ、また日が経つうち、町のいつもよく行く書店の棚で見つけた。
なぜ、私の心の中で、浮きつ沈みつしながらも、引っかかっていたのだろう。その理由を探るように本書を開いた。
『失踪した』友人の所在を求めて、インドを放浪する男が主人公。彼が、ポンベイ、マドラス、ゴアといった町で出会う人々は、現在のインドという国を体現している人たち。タクシードライバー、娼婦、牧師、占いをする少年、ホテルのボーイ…。
第一人称で語られる文章は、謎めいていて、推理小説のような感じもするが、読みながら、手に汗を握る…という類いの小説ではない。明確な解決が示されるわけでもなく、そもそも問いからして読者に取っては曖昧模糊としている。最後の頁までたどり着いたら、おぼろげながら、作者の意図が見えるような気もした。しかし、それが正しいかどうかはわからない。
主人公の目に映る情景は詩的で美しい。たとえ、そこが貧富生死がごった煮となった場所であり、そこにいるのは寂しい人間ばかりであるとしても。
初めから終わりまで、ずっと夢を見ているような感じ。それを味わいたい。この小説が、密やかに私の心の片隅に残って来た理由かもしれない。「インド夜想曲」というタイトルは、まことに適切だと思う。同じ著者で、「遠い水平線」という本もあり、これも同じように淡く長く私の心に留まり続けている。(哉)
| アバター | 2010年02月 |
【監督】ジェームズ・キャメロン
【出演】シガニー・ウィーバー ゾーイ・サルダナ サム・ワーシントン
初めての映画を見るたびに、スクリーンを通して今まで気付かなかったものの見方や、予想もしない創造物などに出会うことは新鮮な楽しみです。この映画は、3Dという映像技術でその楽しみを与えてくれました。
パンドラという星で秩序を保って生活を送っているナヴィ達は、貴重な鉱物資源の採掘を目論む地球人によって危機にさらされています。パンドラに乗り込んだ地球人のアバター達はこの星を破滅させてしまうのでしょうか。
美しい青空、緑の樹々、澄んだ水のパンドラの風景は立体映像によって本物の景色のように目の前に広がります。しかし映画の中の地球は、そんな自然の風景を失ってしまった星として描かれています。美しい風景は3D眼鏡をかけなければ見ることができない星では、映画の楽しみも無くなってしまうことでしょう。
| タニシ君が行く! Re | 2010年02月 |
| 社員のひとこと | 2010年02月 |
暖冬だと言われていたがここにきて本格的な寒さが。カゼをひかぬようにせねば(K)
母の実家に帰省した三箇日、毎日雪かきでゴロゴロなまけるどころかひどい筋肉痛に・・・。(山本)
毎日寒い中、岩国では梅が咲いたと聞くと、春がきてるんだとホッと暖かな気持ちに。(Q)
初詣でひいたおみくじは大吉でした。神様今年一年よろしくお願いします。(^_^)v(お)
最近、生活習慣を改善する為に朝ごはんを食べるように努力しています。(伸)
今年の一月は、以前とちがったてかなり冷えこんでいるので体調に気をつけようと思います。(幸)
自分の為、家族の為に健康第一!! で維持・努力していこうと思ってます…(モン)
予感がする。石が出る予感。(哉)
こんな時は、今一度、自分のまわりを見直しましょう。(北)
「冬来たりなば春遠からじ」(千)
今年はなんだか、よく雪が降るなぁ。やっぱり寒冷化?(朝)
いよいよ寒さも本番といった所ですね。春が本当に待ち遠しい今日このごろです。(元)
正月に親友達と語り会えて幸せでした。私もガンバろっと!(B)
新年会で太りました。(高)
最近、朝目が覚めると体温計で熱を測っている。36.5度が目標。皆様は何度?(秀)
| 今月の写真 | 2010年01月 |
東広島の野鳥と自然に親しむ会 環境カウンセラー(環境省登録) 新名 俊夫
| 今月の言葉(1) | 2010年01月 |
「虚礼」と「礼節」
―日本人の品格を考える―
―風彦
新年を迎えた。人さまざまな賀詞が届く。それに目を通すのは、元日の朝の楽しみなひとときでもある。干支の寅の象形文字、絵入りのもの、家族との団欒の写真、詩文…。能筆を誇示したもの、お決まりの定番の賀状…。
バラエティの“作品”には、それぞれの人柄や人生観を感じる。
最近は若者の活字離れのせいか、携帯電話での賀詞交換が目立つという。そのためか年賀はがきも昨年度より約5億少ない36億4千280万枚(最高の発行枚数は平成15年度の44億6千万枚)。が、パソコンによる手作りの賀状もふえてきた。書店にも「年賀はがき」特集の出版物が昨年の十月ごろから氾濫していた。バブルがはじけた頃には、虚礼廃止論が高まった。
賀状を「虚礼」とみなすか「礼節」とみなすかは、差出人と受け取る側の心情による。「虚礼」とは誠意のないうわべだけの礼儀(広辞苑)。このあしき「虚礼」は、年賀にとどまらず、日本の社会通念でもある。
「礼節」とは貴人に対して礼を行う作法、礼儀のきまり。礼儀の節度。『衣食足りて礼節を知る』(広辞苑)。その社会の秩序を保つための礼儀作法や節度(新明解国語辞典)。
共通することは、「礼」である。1社会の秩序を保つための生活規範 2敬意を表すこと、その動作 3謝意をあらわすこと。またそのために贈る金品。慣用例には、礼煩わしければ、則(すなわち)乱れる―とある。広辞苑から学んだ解釈であるが、私はそこに改めて、日本人の“複合的な品格”を感じた。
「衣食足りて礼節を知る」―。飢餓時代の敗戦後の日本人。その後社会の安定で立ち直った日本人。しかし、今日「衣食足りて飽食」の時代になり、「礼節」を失った。そればかりか、あしき「礼節」の解釈から、“汚職・贈収賄”にまで発展…。昨今、「品格」物の出版物がベストセラーになったのも、こうした日本人への警鐘であろう。
「国家の品格」の著者・藤原正彦氏は「日本は金銭至上主義の国々とは一線を画すこと。市場原理主義は日本の精神性の土壌をずたずたにしてきた。かって駐日フランス大使を務めた詩人・ポール・クローデルは『日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ』と。日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務」(概略)とまで強調した。
新年にあたり「虚礼」と「礼節」を通じて日本人の品格=国家の品格を考えたい。
(風彦)
| 雑感(1) | 2010年01月 |
代表取締役 田河内秀子
新年明けましておめでとうございます。
新年に当たって手帳に向かっていると、いろいろな事を思い出す。二〇〇四年から手帳をつけ始めたのだが、最初の一年は一ヶ月の内、書き込みがあるのは数日のみ。二〇〇五年は三分の一くらいの書き込み。二〇〇六年からは殆どの日に何かしらの書き込みが入っている。それは仕事上の予定だけではなく、いろいろな研修であったり、所属している会の会議であったり、プライベートの集まりであったり、と多岐に渡っているのだが、そうなるのはあるきっかけがあった。
物忘れの激しい私は、しょっちゅう約束を忘れたり、締め切りのある仕事が出来なかったりと、とても困っていた。ある人に相談すると、「何でもかんでも手帳に書くといいよ」と言われ、自社で発行はしたが殆ど自分では使っていなかった手帳を使い始めた。最初は書いたり書かなかったりだった。しかし、徐々に何でも書き込むようになり、それでも、たまに見るのを忘れ、周囲に迷惑をかけたりしながら今に至っているのだが、五年前と比較すると、格段に忘れることは減り、仕事力は向上しているのではと自負している。しかも、スケジュール部分が文字で埋まってくるようになると、せっかくの空いている日も何かしら用事が入ってきて、どんどん忙しくなってくるのは、いったいどういうことだろう? 手帳がいろいろな仕事を呼び込んでくるような錯覚さえ覚える。
さて、今年は新たにビジネス用の手帳を開発して販売している。スケジュール部分は自分が使いやすい仕様にし、カバーは特許でもとりたいくらい気に入っている三分割型にした。読書リストも一年間に一〇〇冊書名を書けるようにしているので、精力的に本も読める。経営者には欠かせない経営指針作りフォーマットも入っている欲ばりな内容だ。
ちょっと大げさかもしれないが、最近は、手帳を制する者、仕事を制し、人生も制するのではないかとまで思いだした。手帳を使いこなし、この一年を悔いのないものにしたい。
| 身近な野鳥 「よく目立つホオジロガモ」 | 2010年01月 |
黒瀬町にホオジロガモが来ているとの情報を得て11月2日早速行ってみる。そこは、1.5haくらいの広さの池で、周りは林に囲まれ、西側は樹木が伐採され、丘のように見える。向こう岸には入り江が三つもあり、その真ん中の入り江の一番奥の方にそのカモはいた。ホオジロカモは白と黒の模様をしていてよく目立つ姿なので直ぐに見つけることが出来た。
ホオジロガモはえさを採るでもなく、じっとこちらを注目している。傍に居るカイツブリはせっせと潜り、餌をとっている。ホオジロガモよりも、もっと奥にいたオシドリの番(つがい)はさらに奥の方でこちらからは見えない場所にゆっくりと姿を消した。
ホオジロガモは真っ黒い嘴と真っ黒い顔や頭をしていて、頬に丸くて白い模様がある。背中の中央部は真っ黒であるが脇腹に向けては白地に黒のストライブが斜めに入り洗練されたデザインである。脇から腹、首から腹にかけては純白である。目は金色をしていて、全体の姿は気品があり美しい。
それから二日後に訪れた時には、池の中央部東よりの水面にいて、かなり近いところであったが、慌てて撮影の準備をしている間に、最も遠いところまで逃げられたしまった。三度目は予め撮影の準備をして訪れ、やっと上の写真を撮ることが出来たが、もっと近づいて欲しかった。一羽で居るので警戒心が強いのか、本来持ち合わせた性質なのか知らないが、このまま来春まで居ついてくれれば良いがと願っている。
(2009年12月14日記)



