| ブラック・スワン | 2011年06月 |
【監督】ダーレン・アロノフスキー
【出演】ナタリー・ポートマン
白鳥は優雅に水面を泳いでいるけど水面下では必死に足をばたつかせている。立派な人間はたゆまぬ努力をするという喩えだが。今回思わず思い出した。ニューヨークのバレエ団で踊るニナは母親の過剰な愛情で育った生真面目な女性。そんな彼女にプリマの夢が。「白鳥の湖」で清純で優雅な“白鳥”そして邪悪で情熱的な“黒鳥(ブラックスワン)”の二役を演じるのだ。しかし技術的に優れていてもパッションに欠けるダンスでは黒鳥は無理だといわれる。新入りのダンサーリリーは、ニナとは正反対に自由奔放に自分を曝け出す。最初は無視しようとするが…。 この映画が面白いのは色んな見方ができること。世間知らずの女性がプレッシャーから狂気の世界に入るホラーともとれるし、究極の目標にむかって走るスポーツ(根性)映画としてみてもいい。(実際バレエって足の格闘技という感じがすごくしました!)私は成長物語とみました。母に抑圧された女子が急に恋や友情を浴びせられ遅い反抗期をむかえ大人になる…というプロセスが極端に痛々しい形になったそんなお話。演じるナタリー・ポートマンの怯えぶり、最後の驚愕のはじけっぷりにオスカー女優の才能と根性をみました、凄い!(neo)
| タニシ君が行く! Re | 2011年06月 |
| 社員のひとこと | 2011年06月 |
だんだんと暑くなってきましたね。体調管理に気をつけよう! (国)
4月21日より入社しました。社会人生活12年目ですが、初心忘れず頑張るぞ! (友)
去年から色々ありましたが、ようやく落ち着いたかなと・・・ (小)
初めての地区大会(^^)1回戦で敗退してしまいました。(ToT) (S4)
もう入社して1年が過ぎました。2年目は飛躍の年にしたいです。 (G)
ゴールデンウイークも終わって仕事も本格化!2年目もはりきっていこう。 (サン)
今年のGWは部屋をひっくり返しての大掃除。家具も買い揃えて気分一新です。 (デミ)
6月…雨…髪がくりくりになる季節だぁ(*_*) (お)
イヤな事が重なる時は続くもので、自分の姿を見つめ直す機会なのかも (Q)
友人と1泊2日で神戸に行って来ました。 (S)
最近雨が多くて梅雨の前兆でしょうか嫌だなぁ (K)
一人暮らしがたのしい…けど欲しい物がたくさん出てきてサイフは寂しい。 (山本)
暑くなってきたかと思えば、寒い日があったり。ちょっと体調も不安定です。 (哉)
ネットショッピングにはまっています…激安です! (B)
今年も冷やしうどんの季節がやってきました (元)
羽アリ 今年も出ました。おかげでこの時期は嫌いです(ToT) (モン)
[Champagne]のライブに行きました。手を伸ばせば届く距離で聞く歌声は最高! (尚)
黄砂にやられて、黒い車が白くなりました。 (高)
息子が牡蠣にあたり、車に石があたりひびがいき、遂に宝くじの番が… (千)
6と8と9ばかりが並んでいる数字は覚えにくいね。 (北)
最近、ベランダで家庭菜園を始めた。バジルと紫蘇と小松菜がグングン成長中!! (伸)
今年はいつの間にかボタンもスズランも咲き終わり、我が家の庭はシランが満開。 (秀)
| 今月の写真(5) | 2011年05月 |
東広島の野鳥と自然に親しむ会 環境カウンセラー(環境省登録) 新名 俊夫
| 今月の言葉(5) | 2011年05月 |
「里山讃歌」「望郷讃歌」
山野の新緑、若葉を讃えるなかで
万葉集巻一(一六)にある天智天皇が春と冬はどちらがよいか―と藤原鎌足にたずねた。そのおり額田王は和歌で「秋山我れは」(前略)―と判定したという。著名な一首でそれなりに説得力もある。が、この季節になると山野の新緑に自然の息吹きに魅せられる。
好天のある日、広島・三次の風土記の丘に大の字になり、青空を眺めながら、周辺の里山に思いをはせた。里山は幾億年もだまって生きていた。その間に木々が生え、育ち、小動物のすみかにもなり、人間との営みに欠くことのできない存在になったのだろう。
ふと思い出したのは、壺井繁治の詩だった。
「石は億年を/黙って/暮らしつづけた/その間に/空は晴れたり曇ったりした」
しかし、里山は自然界の鼓動の中で生きていた。その多くは、宅地開発により姿を消した。都市近郊の集落では、それがひどかった。昔日の面影をみることはできない。残った里山は、人間の営みの社会環境の変化とともに荒れた。
いま心に残るのは、あの三月の東日本大地震、津波禍により廃墟と化した沿岸地方。空撮でみる里山。荒廃のなかにも生き残っていた。若葉も萌えていた。
以前、宮城県の沿岸での牡蠣養殖の漁業者、畠山重篤さんなどは「山は海の恋人」として山での植林運動に立ち上がったほどだった。
それが今回は海の悲劇に見舞われた。が、山、里山への思いは変わらない―という。
“海の復興”の一端は、里山などの植林活動と意気込む。ブナ科のシイ、トチなどの落葉樹で里山の再生に取り組み始めるそうだ。
ちなみに、里山と山との“定義”は広辞苑によると、里山は「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」―。山は「平地より高く隆起した地塊。谷と谷に挟まれた凸起部。古く、神が降下し領する所として信仰の対象とされたなど(後略)」とある。
この時期、五月晴れともなれば、山野の緑は目に染みる。
―それぞれに名のりて出づる若葉かな―。加賀千代の句である。中川宋湖の句も季節感がある。
―若葉風吹くたび峯の光かな―
“都会砂漠”で暮らす人たちには、「緑の讃歌」であり、「望郷讃歌」であろう。が、地震津波禍の被災者の皆さんを思うとき―。
想定外の天災を想定して生きる恐怖のなかで、私たちは日本列島の美の中に、“悪魔のマグマ”が潜んでいることを認識しなくてはなららない。
(風彦)
| 雑感(5) | 2011年05月 |
代表取締役 田河内秀子
大震災から二ヶ月になろうとしています。津波による行方不明の方は未だ一万人を超え、福島県原発の退避区域の方は見通しのつかない状況の中で、家を離れ避難所生活を余儀なくされています。大変なご苦労と大きな不安は如何ばかりかと、心よりお見舞い申し上げます。
こちら広島は、業種によってはかなり仕事に影響を受けてはいますが、毎日の生活は不安も不便もなく平穏に過ごしています。これでいいのだろうか、何か自分に出来ることはないかと自問をする日々が続きます。周りの方々も同じ気持ちのようです。
日赤への募金は必要な人のところにお金が届くのは時間がかかりそうという事で、我が社は少しでも早く、顔の見える支援をと中小企業家同友会を通しての募金に参加しました。岩手・宮城・福島の中小企業家同友会の仲間に全国から集まった同友会仲間の浄財が届き有効に使われている情報がホームページにアップされます。テレビで放映される雇用を守り事業を再生させようと頑張っている経営者は同友会の仲間が多いので、これからもしっかり支えていかなくてはいけないと思います。
又、友人たちを通して被災地から具体的な要望が届くようになりました。昨日聞いたのはおばさん向けの下着と基礎化粧品の要望です。早速用意をして友人に言付けることにしました。回りにも声をかけて行こうと思います。
この日本には被災に遭ってない人の方が圧倒的に多いのですから、自分に出来ることを出来る方法で支援を続けて、被災地の人を勇気づけていきましょう。
もはや日本の農作物輸出は当分無理でしょう。観光客が帰ってくるのもいつになるのか? 世界から迷惑がられる日本になろうとも、放射能から若い人たちを守って中高年の我々が頑張らないといけないのではと思う今日この頃です。
| 身近な野鳥 「桜の花とノビタキ」 | 2011年05月 |
ノビタキはこの地では旅鳥として通過途中に見られるだけで、直ぐに姿を消してしまう。それも今までは秋の渡りにしか巡り合っていない。春の渡りの時期に頭から背中が真っ黒になった立派な雄に会いたいとかねてから思っていた。
ノビタキはスズメくらいの大きさで、目が大きくてかわいい野鳥だ。雄の夏羽は首から上、背面が真っ黒で、白い大きな斑紋が良く目立つ。胸から腹にかけて、淡い黄褐色、下腹部から尾筒下面は白い。雄の冬羽は雌とよく似ていて、頭から背面が茶褐色、下面は淡い黄褐色をしている。
とっさに持ち出したのが手持ちの400mmズームレンズ、思ったよりも近づけず。撮った写真は手ぶれか解像度不足、大きい真っ黒い目は真っ黒い顔に埋まりはっきり輪郭が見えない。願ってもない背景の中のノビタキに申し訳ない。
(2011年5月1日記)
| 今月の写真 | 2011年04月 |
暖かくなると一番に出てくる。
東広島の野鳥と自然に親しむ会 環境カウンセラー(環境省登録) 新名 俊夫
| 今月の言葉(4) | 2011年04月 |
「天災は忘れた頃にやって来る」
寺田寅彦の教訓に学ぶ
このたびの東日本大地震の被災者の皆さんに、こころからお見舞いを申し上げます。と同時に、この大地震による津波で亡くなられた幾多の方々に哀悼の意を捧げます。
三月十一日、午後二時四十六分ごろ、マグニチュード(M)9の地震が発生。悪夢の一瞬から想像絶する巨大な津波…。帰宅直後にみたテレビ中継は、さながら“恐怖のパノラマ”私は言葉を失い、全身に鳥肌がたった。
その後、被害は日増しに明らかになり、テレビの空撮中継では、原爆による廃墟化した広島の惨状と重なった。人智を越えた自然の巨大なエネルギーを思い知らされた。
東大の地球物理学者、寺田寅彦は八十年前に“恐るべき強敵”である「地震国防論」を説いた。随筆家でもあるこの人は「天災は忘れた頃にやって来る」とも戒めた。
青森、岩手、宮城、福島…。太平洋に面した広範囲の沿岸での地震、津波は、有史以来の災害。とくに三陸地方沿岸は、明治二十九年(1896年)六月十五日、昭和八年(1933年)三月三日に大きな津波被害を受けており、津波の常襲地。それだけに地震津波への防災意識は、他の地域住民より強いといわれていた。が、のちの調査では津波への意識は、三十パーセントだったという。防災設備をはるかにこえる想定外の規模だったこともあろう。
「まさか…。という思いもあったろうが、むかしの人たちの体験した津波の悲劇が歳月とともに恐怖への意識も希薄になったのだろう」(日本気象協会・中田隆一氏)
もともと日本列島は、海底プレート上にあり、太平洋岸の海底では、海洋プレートが陸のプレートの下に沈み込んでおり、これらプレート境界ではプレートの先端が跳ね上がることでマグニチュード8クラスの海溝型地震が発生することがしばしばある(中田隆一氏=大要)そうだ。“地震大国”といわれるわけでもある。
その地震も過去の統計からみると周期性がある(詳細は略す)=伊藤和明著「地震と噴火の日本史」という。だから地質学の世界では「過去は未来への鍵」とも説く。社会環境が変わっても先人の残した“智恵”を学ぶべきだとも。「温故知新」である。
今回の巨大地震のなかでみる「人間ドラマの明暗」は、人生のよき教訓である。
「災い転じて福となす」―。被災者も私たちも互いに助け合い、日本人の“智恵と誇り”で、この難局を乗り越えよう。
(風彦)
| 雑感(4) | 2011年04月 |
代表取締役 田河内秀子
未曾有の大災害が発生しました。被災者の皆様には何と言っていいか言葉を失います。自然は人智をはるかに超えています。二〇〇九年にギネスに登録されたという十一メートルの防波堤はいともやすやすと乗り越えられ、三重にも四重にも安全ガードで囲まれたはずの原子力発電所も、人間の必死の努力をあざわらうかのように暴走しました。日本で記録された津波の最大の高さは三十八mだそうですので、十一メートルではまるで足りなかったのです。でも例え五十メートルの防波堤を築いたとしても原発直下でマグネチュード9がきたらどうなるのでしょう?
CNNニュースにいつも出てくる世界地図の右端にある小さな小さな島国は幾万年かの歴史の中で、周期的に繰り返す大地震や大津波、火山の噴火に見舞われ続けています。それがこんな風光明媚な日本列島を作り上げてきて、今もその活動の真っ最中にあるのです。
でもどんな災害があろうとも人間は生きていかなければいけません。今日も明日も生きている限りは生きていかなければなりません。そして子供たちに孫たちにこの美しい日本という国を残していかなくてはいけません。今までそのように日本人はやってきたのです。
三日後に助かったお年よりが言っていました。「大丈夫! 大丈夫! また一から始めたらいい」と。四枚のプレートの上に乗っかって何千年も生き抜いてきた日本人のDNAの言わせる言葉でしょうか。
しかしそれにしても世界で一番地震の多い日本で、五十四基もの原子力発電所が稼動しているのは正気の沙汰ではないですね。この度のことは本当に肝が冷えました。今こそ世界に誇る日本の技術を駆使して自然エネルギーに大転換していく事はできないのでしょうか。そしてそれと共に少々電気がこなくても生活できるような知恵を持ちたいものです。



